はちより

〜片道書簡〜

里親になるきっかけの話。

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石榴(ザクロ)の花。子どもの頃、「タコさんウインナー」に見えた。

《この記事を読まれる前に》

里親については、居住する自治体や時期(法改正があったり、時代背景が変わったりするため)、公的機関の児童相談所なのか、民間あっせん機関なのかでかなり違います。
あくまで2016年頃のある限られた地域での話だと思ってお読みください。
もし、里親制度に興味を持っていただけましたら、私のBlogでご判断なさらずにどうぞお住まいの地域の担当児童相談所にご相談ください。
最新情報を得られるはずです。
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いかがお過ごしですか?

今日は、私たち夫婦が里親登録をしようと思った経緯について書くね。
確か里親登録後に「里親になったんだ」と報告した覚えがあるから、突然でビックリしたよね。

結婚が40歳と遅かった私。
新婚1年目は会社勤めもしていたし、あっという間だった!
ずっと実家暮らしだったから、夫婦2人の生活は本当に新鮮だったなぁ。

でも、1年過ぎても妊娠せず。
私の年齢が年齢なので、夫に不妊治療専門の病院にかかりたいと告げました。
年下の夫は不妊治療のことはよく知らず、私が調べて説明し、(女性に原因があれば)女性側の負担が大きく、通院から心身のバランスなど「一緒に取り組まないと治療は難しい」こともいいました。
治療するのなら、私1人が頑張るのではなく、2人で頑張りたかったんだ。

検査した結果、原因は私にあり、約2年間不妊治療をしたよ。
夫はとても協力的で、勤務時間が不規則な職場なのに2人での通院にも積極的だった。
安心感が大きかったな。

体外受精を何度か試みたけど、子どもは授からなかった。

1回目の体外受精がダメだった晩。
明かりを消した真っ暗な寝室でベッドに横たわったまま、つらつらと喋っていたら、どちらともなく「里子という道もあるよねという話が出たんだ。
肯定も否定もなく。
でも、それ以上は話さなかった。
ただ共通認識としてお互いの心に残った。

不妊治療と里子について考えることの同時進行は正直心身ともにキツかったの。
不妊治療は通院も含め、体力気力を消耗して結構大変だし。

最後にしようと決めた体外受精が陰性だとわかり、治療を中止。
お金も時間も有限だから、「次こそは」と期待しちゃうけど、どこかで決断しないとね

2人で不妊治療の助成金を申請しに行った窓口に里親制度のリーフレットがあったんだ。
すぐ児童相談所に電話。
その足で説明を聞きに児童相談所に行きました。

本やインターネットにも情報はあったけれど、自治体によって違うようなので調べるより基本的なことを児童相談所にしっかり教えてもらった方が早いや、と思ったの。

丁寧に教えていただいたけど、「じゃあ、今すぐはじめましょう!」ではなく、「まずは数ヶ月後にある説明会を受けてください」といわれました。
正直、拍子抜けした。
児童相談所に行けば、話がどんどん進むのではないか、と思っていたから。
これはその後もたびたびあって、児童相談所で夫婦そろって話を伺っても「決断は今せず、一度持ち帰って2人でよく話し合ってください」といわれること多し。
要は、その場で即決したはいいけど、後で「やっぱり」は児童相談所も困るのだろうね。

説明会開催を待つ間、児童相談所から得た基礎知識と情報を元に調べ、民間あっせん団体も探して説明会に行ったりもしたよ。
説明会は満員のところが多く、キャンセル待ちをして遠方の会場まで行ったりもしたなぁ。

その時、民間あっせん団体だと年齢制限がを設けているところが多いことを知りました。
不妊治療で妊娠に年齢的限界があることを痛感したけど、「ここでもかぁ~」ってなった。
私の年齢では当時の民間あっせん団体では引き受けてくださるところがほぼなく、自然と児童相談所に絞られていきました。

短くまとめるつもりが、きっかけから現在に至るまでの話は長くなりそう。
少しずつ書いていくね。
それでは、またね!